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ジョニー・ディップの映画 MINAMATAを小倉へ2週続けて見に行く

2021年10月19日

 映画 MINAMATAが公開され、北九州市小倉のシネプレックス小倉へ電車乗り継ぎで見に行った。
 ユージン・スミス役のジョニー・ディップ、自主交渉リーダー、ヤマザキ・ミツオ役の真田広之、アイリーン・スミス役の美波、監督アンドリュー・レヴイタスなど、その労作にこころから胸をうたれました。カタログを買って帰り、次の週、再度、映画を見に行ったのです。
 ユージン・スミスとアイリーン・M・スミスが水俣に向かったのが1971年9月、水俣では漁村の集落あちこちで劇症急性の患者が死亡し、脳性麻痺のような患者が多発し、胎児として水銀中毒となった子供たちが発症し、チッソ社から責任を拒絶され、地域住民や行政から差別され、生活に苦しむ状態が続いていた。
 患者が調停依頼派、訴訟グループ、自主交渉グループに分断され、やむに已まれぬ真情からたくましいリーダーが育つ。東京チッソ本社や水俣工場で、患者が座り込み、「患者と家族の苦しみがわかるか、金では体を元に戻せない、排水を飲め、命と暮らしを補償しろ」と訴えていく。
 ユージンとアイリーンが水俣の月浦集落に粗末な小屋を借り、暗室を借り、取材と撮影を続けていく。患者の家族に寄りそい、通い続け、ユージンはユーモアもあり、患者のねじ曲がった手足、見えない目、話せない顔、苦難の日常、家族の心情を撮影していったことがわかる。水俣滞在は3年にもなった。


 内湾の八代海に面する水俣、かっては塩田だった低地の駅前にチッソ水俣工場が立地し、1932年にはアセトアルデヒド酢酸設備が稼働、排水を無処理で南西部の百閒漁港に直結していたそう。1941年には塩化ビニール製造開始、1942年に水俣病患者が発生。
 空襲のあと、戦後に工場再開、1953年に水俣病患者が公式認定されたが、原因不明だった。百閒漁港の辺りは、有機水銀のヘドロ汚染がひどく、埋立されて、今は道の駅や広大な公園になっている。

 2016年には山口県エコキャンパスの学生環境ツアーで熊本を訪ね、水俣病資料館や熊本地震被災地を見て歩きました。駆け足のツアーでしたが、学生と共に学ぶ機会、とても貴重でした。
 図は水俣病資料館の展示より 昭和30年頃の食事。「穏やかな海に恵まれた八代海沿岸地域では、四季を通じて豊富にとれる海産物を中心にした食生活をしていました。魚介類は貴重なタンパク源として食卓に欠かせないものでした。」

 映画の原作、W. ユージン・スミスとアイリーンM.スミスの写真集 水俣 MINAMATA、1982年、三一書房を環境学習館に蔵書しています(西村誠氏寄贈)。今回、初めて読み、その大切な写真を残してくれたことに心から感謝したいです。
 胎児性患者の上村智子と母の入浴写真が撮影された。写真を通して、患者への支援を拡げたい、水俣病の問題を世界に知らせたいというユージン・スミスとアイリーンの切なる思いが家族に理解されての作品集なのだとわかる。熊本地裁での患者側勝訴の判決など、時代が大きく動く写真も感動的です。水俣の人々の訴え、果敢な闘いが、環境保全の法制度を前進させ、私たちの海や川の環境が守られるようになったのです。

 福島第一原発事故の放射能汚染に故郷と暮らしを失った避難者の苦難が、水俣からつながっていることを、痛感する本。水俣問題は終わっていない。水俣に学ぶことはまだまだ多い。水俣では患者と市民や工場の分断、対立を超えて、もやいなおしの取り組みが続いている。公害病を超えて、環境都市を目指しているという。水俣には歴史考証館が水俣病センター想思社に併設されている。水俣を訪ね、その風土、暮らしを学んでみたい。
https://www.minamatadiseasemuseum-jp.net/
 アイリーン・美緒子・スミスさんは京都在住で、脱原発の運動をグリーン・アクションという市民団体で続けています。福島の事故よりはるか前、米国スリーマイルアイランドの原発事故を見て以来ずっと。その行動力、発信力、つながる力に学びたい。
http://greenaction-japan.org/jp/
(文責: Hitomi Murakami)

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