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なんでも鑑定団で、ユージン・スミスの「楽園への道」が出品されました。

2017年09月16日

9月18日「なんでも鑑定団」でユージン・スミス(1918-1978)の「楽園への道」という写真が、500万円と評価され驚きました。事前の解説も興味深いものだったので少し調べてみました

ウィキペディアによると、母方の祖母が、アメリカインディアンの血筋をひく。父親は小麦商を営んでいたが、大恐慌で破産し、散弾銃で自殺している。スミスはこの影響で早い時期から人の命や医療、ケアに強い関心を持ち続けたとのことです。

ネガは楽譜、プリントは演奏のようなもので、プリントには心血を注ぎ、時には加工も為されたそうで、それだけに写真といっても、高い価値があるとの説明でした。

下右は、サイパンで、アメリカ兵に発見された、負傷し死にかけている幼児(1944年6月)の写真で、誰でも、幼児の立場になる可能性があることを訴えています。

1945年、沖縄で取材中、日本軍の砲弾が炸裂して重傷を負い、後遺症を持つことになります。

先の写真は、生きる気力を失いかけていたときに、我が子が光の方へ歩いていく写真を撮って、気力をとりもどしたということでした。

ユージン・スミスは、水俣の写真集でも世界に知られています。

1971年、彼は前年アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた31歳年下のアイリーンさんと結婚し、水俣に移り住み、水俣病の写真を撮り始めます。

右下の写真は、胎児性水俣病の上村智子さんの入浴、お母さんの覚悟の下に撮られたもので、世界中の人々に大きな影響を与えました。智子さんが21歳で亡くなられたあとは、その公開については、お母さんの気持ちも変わられたようで、決定権は上村夫妻に戻されたとのことです。

その経緯について、以下に詳しく紹介されています。http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_jp/aboutus/interview.html
その中で、ユージンスミスの斜視に対する考え方として、
撮られる側に対する責任と、見る側に対する責任の二つがあり、写された側と見る側への責任を果たせば、必然的に出版界に対する責任も果たしているという信念をもっていたそうです。


なお、1972年、ユージン・スミスはチッソ五井工場を訪問し、患者と会社側との交渉を撮影中、同社従業員(従業員の姿をした雇われた人達とも) から暴行を受け、片目失明の大けがをした。このときの傷がもとで、帰国後、脳出血で死亡したとされています。http://blog.goo.ne.jp/fwhd26/e/fb5189f384dbf83a139027d66f3c2c8f

一方、アイリーンさんは、ユージンさんの死後は米スリーマイル島原発事故(1979年)の現地取材をきっかけに、一貫して脱原発を訴えてきた。現在は京都市在住で、現在は「グリーン・アクション」代表をつとめています。




 水俣と福島に共通するものとして、「水俣病は、日本を代表する化学企業・チッソが、石油化学への転換に乗り遅れ、水俣を使い捨てにすることで金もうけした公害でした。被害を水俣に押しつける一方、本社は潤った。福島もそう。東京に原発を造れば送電時のロスもないのに、原発は福島に造り、電力は東京が享受する。得する人と損する人がいる、不公平な構造は同じです。」 と発言されています。http://sekaitabi.com/10teguchi.html (文責:浮田)

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